2014.02.21 Friday
日本語教師のユーウツ 〜 帰国すれば無職の現実
日曜日の朝日新聞。あいかわらず日本語教師養成講座の広告がでている。
何歳からでも始められる、国際貢献できる、やりがいがあるなどという言葉にだまされないで止めときなさい。養成講座出ても仕事無いよ。
海外で現地採用の日本語教師は、日本に帰るとただの「無職」になる。当然、海外では日本の社会保険はかけられないから、失業給付なし、何の保証もなしにである。
政府は海外に出て働く日本語教師に対して、帰国後の保障を考えるべきである。
海外でたっぷり貯金をためてというのも、1か月の給料が日本円にして数万円のアジアではむりだし。
わたしなんか坐骨神経痛で帰国で2か月近くたつのにまだ1分も歩くと足が痛くて社会復帰できる状態ではない。働けない。
母親からは「その歳になったら親の面倒をみなあかんのに、家なし、嫁さんなし、仕事なしで親の世話になっとる」などと嫌味言われているし・・・。この人、他者に対する共感性というものがまったくない。
通院でお金が出ていくばかり、と言うのも何なので株を始めてみた。
以前勤めていた学習塾の持ち株会に入っていたので、インターネット上に口座も持っているし、そこで得た少しばかりの資金もある。
とはいうものの持ち株会は、何もしなくても自分の会社の株が自動的に毎月入ってくるわけで、自分の判断で銘柄を選び売買するということはしたことがない。
全くの素人、初心者である。さらに小心者である。
競馬で、1つのレース、1頭のお馬さんに給与全額をかけるということをしていたという同僚がいた。
「レースが始まるやろ。もう心臓がバクバクするねん」
月給が0になるか大化けするか。その心臓がバクバクという快楽は小心者には理解できない。
そんなわけで小心者のわたしはまずミニ株から始めてみることにした。
ここで練習して要領を覚えた後に本格的にやろうという魂胆である。
さすが小心者である。
株をやると普段使わない株式の用語を使うことになる。
売買の際には「指値」に「成り行き」、株価の動きを分析する際は「ローソク足」に「始値」「引け値」だの経済に全く弱いわたし(文学部出身)であるが、こういう言葉を使っていると偏差値が10くらい上がったような気がして、たいへんに嬉しい。
さらにこれが「キャピタルゲイン」などという、大変むずかしげなカタカナ用語になるともう偏差値20アップである。
キャピタルゲイン、何のことはない株を売った利益のことをいうのである。
しかし、ミニ株はダメだね。損を出しても小さい代わりに、株価が上がっても利益は少ない。
例えばA社の株を10株買ったとする。株価が100円上がっても100円×10で1000円しか利益が出ない。そしてこの利益は証券会社がとる手数料できれいに消える。消えるどころかマイナスになる。
よく入門書に1円でも上がったら売れなどと書いているが、「1円でも」というのはメタファー(隠喩)であって、現実にはそんなことはできないのだ。
そういうことも、今頃になってようやく分かったのだが、まあ練習だからこれでいいのだと自分を納得させる。
競馬などと違って、つぎ込んだお金が0になることはない。
そして銘柄選びを慎重に慎重を重ねたあげく考え疲れて、適当に2つ、ヤマダ電機と岡三証券を買った。
小心者なのか大胆なのかよくわからない。
翌日株価をチャックした。
2つとも値を下げていた。
日本語語教師の憂鬱は続く。
2014.02.15 Saturday
最低限の実用片言中国語 〜 Let's Speak Chinese !
アクセス解析を見ると、いつもアクセス数上位20件に入っているのは、「中国のスーパーで買い物しよう 〜 最低限の中国語」、「Young Persons Guide To 外国人体格検査」など、実用的なことを書いている記事である。
最近は役に立たない記事ばかり書いていたので少しは役に立ちそうな記事でも書こう。
わたしがよく使っていた片言中国語である。
選んだフレーズは旅行者向けで、ガイドブックに当たり前に書かれている「ニー・ハオ」だの「シェー・シェー」だのは省いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【1】OK(いいですよ、わかりました)
中国に初めて来たK先生。
「ホテルの人、全然英語通じないんで困りました」
そう、中国は本当に英語が通じない。
日本人も英語が下手だけど、中国はその比ではない。
「How much?」すら通じないと思ったほうがいい。
というわけで、中国ではどうしても中国語が必要になってくる。
なお、OK(オーケー)とBye-bye(バイバイ)は中国語に溶け込んでおり、とてもよく使われている。
発音も日本人のそれに近いので聞き取ることは容易である。でも、バイバイは仲のいい人とか、身内の言葉。「OK」は普通に使える。たぶん・・・。
【2】スーパーでの買い物
ある日学校の近くのスーパーで買い物をしていた。レジに並ぶと「センセー」と言う声が。学生だ。彼は私の後ろに並んだ。
例によって店員が
「会員カードは有りますか(会員卡有吗?)」
「レジ袋は要りますか(要袋子吗?)」
と聞いてくる。
いつものことなので、いつものように「没有(meiyou)」「不用(buyong)」と答える。
学生が驚いて言った。
「センセー、中国語がわかりますか」
こいつなめてるな。
この程度の中国語は中国で生活していれば誰でもできるようになる。毎度のことであるから、わからないとスーパーで買い物するたびに、あわわわっ!と困ることになってしまう。
中国語の発音は日本語と全然違う。カタカナで書かれた発音を覚えてもまず聞き取れない。
でも、あえてカタカナで表記すると、「会員卡」の発音は「ホイユエンカー」と聞こえる。「袋子」はダイズと聞こえる。
【3】これください(我要这个)
町の食堂に入った。
わたしの後に白人の客が入ってきた。
その白人客は壁のメニューの写真を眺めていた。中国語はほとんど分からないないのだろう。
この白人客はどうやって注文するのか? 興味津々である。
白人客は、写真の一つを指さして言った。
「我要这个(wo yao zhe ge)」
指さして「我要这个」。わたしの注文の仕方とまったく同じだ。
「これをください」の中国語は、ほかの国の本にも「我要这个」となっているということだろう。
我要这个・・・うん、そうだ、そうだ、我要这个。我要这个は正しい(※注)。
わたしは深く納得しながら、牛肉が少なくて納得がいかない牛肉炒飯(niu rou chao fan)を口に運んだ。
【4】いりません(不用)
英語のYES・NOは便利な言葉だ。承諾のときはYES、拒否のときはNO。ほとんど万能といえるくらいこれで用が足りる。
ところが中国語はそうはいかない。
「対(dui)」とか「不是(bushi)」なんかよく使われているけどやはり場面は限定される。
買い物をしているとき、店員がいらないものまで「あれはどうだ」「これも買え」などと言ってくる。英語ならNOで済む。中国語は「不用(buyong)」と言う。「要りません」「結構です」は不用(buyong)である。
用(yong)の発音は4(よん)と似ている。だから不用の発音は「ぷーよん」。中国で頻繁に聞く言葉だ。
デパートのおもちゃ売り場で、一つのおもちゃを手に取った母親に向かって子供が叫んだ。
「ぷーよん、ぷーよん」。
私の頭の中に「いりません」は不用だと深く刻みこまれた。
【5】中国語がわかりません(听不懂)
听不懂(ting bu dong)、発音をあえてカタカナで書くとティンプトン。
中国在住の日本人で「听不懂」が一番よく使う中国語だと言う人も多い。中国語を話せる人でもそういうので、「一番よく」というのは誇張、謙遜が含まれている。が、わたしもよく使った。
听は「聞く」、不懂は「わからない」。听不懂は、聞いてわかりませんという意味である。
中国語らしい言い方なのだろう。学生も日本語がわからなかったときよく「听不懂」と言う。「授業中は中国語を使ってはいけません。日本語で“わかりません”と言いいなさい」と注意する。
中国語で話をされてわからないときは、「我不会説汉語(=I can't speak Chinese)」なんて長くて発音の難しい(会 hui と語 yu が難しい)フレーズを使うのではなくて、困惑した表情で「听不懂」と言う。これでいい・・・と思う。
そして必要なら紙とペンを差し出し筆談に持ち込めばいい。
わたし、ほとんど上記の中国語と「多少銭?(いくらですか)」「謝謝(ありがとう)」だけで中国生活をしていた。
たったこれだけでなんとかなったのは、わたしのコミュニケーション能力の高さというか、円満な人柄によるものであることは言うまでもないと思うのだけど、他人(ひと)はどう思うのかは知らない。
補足をしておくと、中国語の禁止(駄目)は、不行(buxing)、不可以(bukeyi)である。発音はそれぞれ、プーシン、プクイと聞こえる。「駄目です(NO!)」といわれているわけだから、そのときはさっさと引き下がること。
無用なトラブルは起こさないことに越したことはない。
あっ、それから6以上の数字を片手で表す中国独特のサインも覚えておいたほうがいい。
中国の人、世界共通のサインだと思っているようだ。
※注: 欲しいものを指差して「这个(zhe ge)」だけでもいい。中国の人もそう言っている。这个の発音はわたしにはチェイガと聞こえる。
2014.02.12 Wednesday
入試国語攻略〜国語入試問題は出題者を相手に解け
人間、年を取ると、どうもいろいろ言いたくなってくるみたいだ。
ああ嫌だと思うが、物言わぬは腹ふくるるわざなり。
【国語入試問題は出題者を相手に解く】
昨年のセンター試験「国語」の平均点が5割を切ったそうな。
国語1問めは小林秀雄の文章。朝日新聞の見出しは「(意表をつく言い回しが多いために文意をとりにくい)小林秀雄のせい?」。
齋藤孝先生(サイトウのサイの字注意。齋である)は(『「東大国語」入試問題で鍛える! 齋藤孝の 読むチカラ』(宝島社)の中で、小林秀雄かかってこいと著者を相手に問題を解いていた時は点数が取れなかったが、出題者を相手に問題を解くようになって得点が取れるようになったと言っている。
齋藤先生のこの話を簡単にまとめるとこういうことになる。
入試で小林秀雄が出題されたとする。その時、小林秀雄の文章を間に挟んで大学(出題者)と受験生の対話が行われている。
「あの、この文章について質問なんだけどね・・・」と大学が質問する。
それに対して受験生は「この文章に書かれていることはですね・・・」と答える。
それが入試国語なのだ。この対話がうまくできる学生を、ウチで学問をするににふさわしい学生として大学は合格点を与える。
大学(出題者)を無視して、小林秀雄と対話してはいけないのである。
それがわかると、世間によくある“(国語の入試問題は)出題者がその文章をどのように読んだのかを考えないといけないのはオカシイ”という批判がいかに的外れなものかよく分かる。
入試国語は著者を相手にするのではなく、まず出題者を相手にしなくてはいけない。これが正しい。
受験生は設問から「先生(大学)は、この文章をこのように解釈したんですね」と的確に指摘し対話できる学生でなければならない。
もちろんその際、答えの根拠は文章に書かれていることがすべてである。書かれていることを根拠にして客観的に答えを導き出す。
ところが世間では、あるいは国語の先生でさえもこう考えていない。ほとんどの人が著者を相手にする。入試国語は誤解されている。
元河合塾の牧野剛先生は84年の共通一次試験の問題を的中させただけでなく、京大コース、東大コースでも、試験問題を的中させてきた人気講師だった。
この先生、過去問題から出題者の読書傾向を分析する。そのうえで、予想問題をつくり的中させてきた。
つまり出題者を相手にしているのである。
わたしも塾講師時代はこうやって入試予想問題を作り、何度か的中させた。
小林秀雄の文章に論理の飛躍が多いことは多くの予備校講師が指摘している。
それは要するに小林秀雄の“芸風”である。小林秀雄は何も悪くない。
悪いのは出題者である。
さてセンター試験・国語、小林秀雄の問題をななめにざっと見て驚く。なんだこの注釈の多さは! 21も!
要するに高校生にわかりっこない文章を取り上げたわけである。
悪問である。素人の作問だ。出題者ははっきり言ってアホである。
平均点が50点に満たないテスト(試験)。
わたしが塾にいたとき、こういう問題を作ると上司にひどく怒られた。
まずテストを受けた児童・学生がかわいそう。それに得点分布が下のほうにかたまってしまい、きれいにばらけないので、学力が正確に把握できないのだ。
センター試験という多くの若者の将来を左右する重大な試験。複数のセンセーのチェックを受けているはずなのに、こんなアホな問題がどこかで止められることなくスルー、つまり出題された。
すくなくとも問題文に21個もの注をつけないと高校生に読めないと分かった時点で、この文章は没にしないといけない。
ゴーマンかましてもよかですか!? by小林よしのり
学力低下問題は、近頃の学生がアホだという前に、センセーの能力が低下しているのではないかということをまず疑え。
※注: 『「東大国語」入試問題で鍛える! 齋藤孝の 読むチカラ』は、私が知っている限り、入試国語は著者を相手にするのではなく、出題者を相手に解くということを初めて説いた本である。東大の入試問題を取り上げてはいるが、非常に読みやすい。国語入試問題を著者の呪縛、国語入試問題の世間にある誤解から解く画期的な内容だと思う。でも、残念なことに原稿は編集者、要するにゴーストライターにほとんど任せているので、amazonのレビューで“適当に書き流した本”なんて言われている。決して書き流した本ではない。本人が書いてないんだから。
2014.02.07 Friday
【悩み中】 新垣隆は天才作曲家か、それとも・・・
坂本龍一は大江光の音楽をくだらないだか、つまらないだか言ったそうな。
今、大江光なんて聴いている人どのくらいいるのだろうか? 中古レコード店で不良在庫になってワゴンで売られている。
やっぱりくだらない、つまらないものだったのだろう。
大江光とか佐村河内守とかフジ子・ヘミングとか辻井伸行(※注)とかクラシックの人ってハンディキャップトの物語が好きだねぇ。
わたしもヘルニアのため志半ばで帰国して、坐骨神経痛と戦いながらこのブログを書いているのだけど、だれか感動してくれないかな。
佐村河内守の音楽を「戦後の最高の鎮魂曲」だとか「もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲」だとか言った人はどう釈明するんだろう。今になってみれば、なんか皆、聴覚障害を持った人が作った曲と言うことで舞い上がっていたことがわかる。
バブル経済とその崩壊を見ているようだ。
出版の世界は有名な人の著作と言うことになっているけど、全部ゴーストライターが書いているというのはよくある。
出版の事情はよくわかる。わたし、元編集者である。もたしもゴーストライターをやった。
日本人K先生(女性)が池上彰の本をほめていたので、「ほとんどゴーストライターの著作だよ。テレビにも出て多忙なのに、短期間にあんなにたくさん本を書けるわけないじゃないでしょ」
などと余計なことを言ったら、「池上さんが書いたと信じて買ったのに・・・」とひどく落胆していた。知らぬが仏ということもある。やっぱり余計なことは言わなかったほうがよかった。大人げない。
池上彰の名前を使って本を出せば売れるので、出版界では池上バブルと呼んでいる。
音楽と出版は世界が違うからこれは別問題かな。
ビートルズはジョン・レノン、ポール・マッカートニーがそれぞれ一人で書いた曲も全部レノン‐マッカートニーと二人の共作となっているのは誰でも知っている。
ロックの世界って、実はこの曲の作詞・作曲は・・・と言う話はいくらでもあるなぁ。
印税の関係とか、リーダーがあこぎな奴で他のメンバーの曲も勝手に作詞・作曲を自分の名前にしたとか。
ついでにレッド・ツェツぺリンの1stの作詞・作曲にロバート・プラントの名前がないのは契約の関係。
音楽そのものが本当に素晴らしいのならばこれを機に、新垣隆は佐村河内守に利用された悲劇の天才作曲家として脚光を浴びて、クラシック界の大スターになるはずだけど。
それとも社会から抹殺されるのかな。
そうだとしたら佐村河内守、のではなくて新垣隆の音楽も、実はくだらない、つまらないものだったということだな。
ゲストにジェフ・ベックを迎え、盲目のスーパースター・スティービー・ワンダーがSuperstition(迷信)をやっている動画がyoutubeにあった。
いやー、やっぱり本物の音楽はいいわ。
※注: フジ子・ヘミングと辻井伸行をつまらないと言っているのではない。クラシックのピアノのことはよく分からないがフジ子・ヘミングのピアノの音は好きだよ。
<第2部 中国語の勉強に続く>
※読んでも面白くないよ
2014.02.04 Tuesday
中国人は…、日本人は… 〜 文化相対主義を実践せよ
日本語学習支援者(注:ボランティアの日本語教師のこと)養成講座の先生はこう言った。
「学習者(日本語を習っている外国人)の、日本人と違うなと思える反応を見ても、○○人はそうするととらえないでください。□□さんはこうするととらえてください」
中国人M先生はこう言った。
「中国は広くて人もたくさんいます。中国はこうだとか、中国人はこうだということは言えません」
その通りだと思う。
ちょっと違うだろと思った言葉。
日本人S先生は言った。
「(中国人スタッフに)コピーしてもらうと中国人のやることだから精度が低いんだよね。ゆがんでたりして」
中国人だから期待通りにコピー出来てないわけではないだろうと思う。
日本人だってコピーを依頼すると、どうしてこうなるかなぁと思うような雑なコピーを取る人はいる。
国民性ではなく、個人の問題だろう。
社会に出ると、まあいろいろ「どうしてこうなるかなぁ」という理不尽なことは多い。
その場合、日本の会社だと「クソ上司め、覚えていやがれ!」(半沢直樹)と個人にその原因を特定する。
ところが、中国の会社(わたしは学校だけどね)に勤めていると、なぜか「中国人はダメだ」と考える。
日本人は優れていて、中国人は劣っているのか?
日本でも、冷凍食品に農薬マラチオンを混入する事件が起きた。また、食品偽装は日常茶飯であるかのようだ。
公害も高度経済成長から1970年代まで日本は公害列島と呼ばれた。
礼節は中国語でも礼節(礼节・lijie) である。
かつての日本は中国に礼節を学んだということだ。
中国人はモラルがない。
そういう人は、そのような事件や出来事ばかりに目が向いているからだろう 。
または、残念ながらそのような人としかふれ合いがなかったのかもしれない。
わたし、幸福(しあわせ)なことに、中国で不快な人に会った記憶がない。
何の本に書いてあったのか忘れたが、養老孟司がこういうことを書いていた。
中国人はモラルがないというが、日本人だってモラルのない人間はいくらでもいる。日本の10倍の人口をもつ中国だから、モラルのない人間は日本の10倍いる。そのかわり立派な礼節を備えた人も10倍いる。
わたしは聖人君子なんかじゃなくて、一介のステキな日本語教師に過ぎないから、「(日本人に比べ)中国人は・・・」などと上から目線の物言いにならないように気をつけている。
謙虚だろ〜(スギちゃん風に)。
※注:「文化相対主義」についてはウィキペディアを読んでね。
<第2部 中国語の勉強に続く>
※読んでも面白くないよ
2014.02.02 Sunday
愛国無罪の中国。愛国無邪気でナルシストな日本
木曜日は病院に行く日。
それ以外は日付というものを意識しない生活をしている。
そうやって日々を過ごしているうちに2月になった。
今中国は春節の真っ最中。
「新年」という言葉は、中国語でも新年(シンニェン)であるが、中国の人が新年といった場合、それは西暦ではなく旧暦の春節後であることが多い。つまり、春節前の1月はまだ今年のうちに入る。
1月に忘年会があるのだ。
わたしのほうは、こうやってブログを更新していると「つれづれなるまゝに、日ぐらしパソコンに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」である。
今日も、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くる。
【愛国無罪の中国。愛国無邪気でナルシストな日本】
新聞を読む。新聞はもちろん朝日新聞である。
読売新聞は嫌いだ。タイガースファンが読売新聞を読むはずがないではないか。
10面に『呆韓論』(室谷克己著・産経新聞出版)という本の広告が出ている。
韓国のことを書いた本のようだ。
「悪口ではありません、事実です」「“普通の国”だと思ったら大間違い!」「すべての問題の根源はかの国の病にある!」だそうである。16万部突破のベストセラーでもあるらしい。
悪口ではありませんというフレーズから、韓国の悪口を書いた本であろうと推測できるが、読んでないから、これ以上この本には触れない。
最近、書店に行くとこの手の、要するに韓国や中国を、常識の通じない国、世界中から嫌われている国ということを書いた本が非常に多い。
その裏返しとして、日本は世界中から愛されている国、感謝されている国というナルシスティックな日本大好き本もとても多い。
ピアジェは、2〜7歳の時期の子供を前操作期と呼んだ。この時期の子供は、他者の視点に立って理解することができない。自己中心性の特徴を持つとしている。
ちょっとでも児童心理学や発達心理学に触れたことがある人なら、だれでも知っている。
幼児なら「他者の視点に立って理解することができない」「自己中心」であっても問題ない。発達段階として当然だからである。無邪気ともいえる。
でも大人になってもこのままでは困る。
自分大好き、自分は普通だ、自分は正しい、自分はみんなに愛されている、自分は何でもわかっている。そう信じている。
そして、自分にとって心地よい言葉は受け入れるが、そうでない言葉にはヒステリックな反応をする。理性が消え道理が通じない。
あいつは、何も知らないバカだ、アホだ。恩知らずだ。みんなの嫌われ者だ。あんなバカ、アホとは絶交だ。そう考える。
いや、ウチの母親のことを言っているのではない。こういう思考で中国、韓国の欠点をあげつらい、日本をナルシスティックに溺愛する本が多いと言っている。
品格がなく下品。なにより幼稚だ。前操作期の幼児の思考そのもの。そう思うのだけど、この手の、韓国や中国大嫌い、日本大好きという本が書店にあふれている。
ということは、この手の考え方を「下品で幼稚」と考える私の感覚のほうがおかしいと世間の人は見るのだろうか?
おっ、そういえば母親から変人奇人と言われたぞ。
ある日、「昼ごはん食べた?」と聞かれ、「食べてない」と答えると「昼ご飯を食べないのは人間としてどうかしている。あんたはいつからそんな変人奇人になったんや」とさんざん。最近も「あんたみたいな変人」って言われたな。
どっちが変人奇人なんだか。
(これって以前書いたかな?)
【ホウレンソウ(報告・連絡・相談)】
どういう話をしていた時かは忘れた。
「小日本(シャオリーベン)とか日本鬼子(リーベングイツ)という言葉が聞こえたら気をつけます」
というと学生はどっと笑った。
日本人に対する罵倒語が日本人の口から出たので受けるはずである。
「センセー、中国語をよく知ってます」
当たり前だ。外国人には分からないだろうと思ってはいけない。こういう悪口は覚える。
反日デモの時、さんざん使われた言葉だから。
尖閣諸島(釣魚島)は、日本の領土だ。わたしもそう考える。
でも、でも、どうも心地悪い。
その心地悪さは、どこから来るのかというと、尖閣諸島を日本の領土に組み入れたやりかたが、法的には問題がなくとも道義的にどうかと思うのだ。
どうも正々堂々という言葉と縁遠いような気がする。姑息にも思える。
外務省のHPを見ると「尖閣諸島は,1885年以降,複数回にわたる調査により清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上,1895年1月に我が国の領土に編入」とある。
ここから話を始める。
明治時代、近代国家としての体裁を整えるために国境を明確に定めていった。
国境は近代の産物である。
しかし、清国の国境意識はまったく前近代的なものだった。だいたいここまでが清国の領土だという感覚のままである。
このころ清国は、尖閣諸島(釣魚島)のことはすっかり忘れていたか、釣魚島は当然清国の領土だろうと思っていた程度の認識だったろう。法的不備と言ってもいい。
また日本が尖閣諸島を日本領とした1895年1月というと、日清戦争で清国側は日本にボコボコにされていた時期である。無人島である釣魚島(尖閣諸島)のことなんか気にしている場合ではなかったのだ。
明治政府は、一方の当事者であるはずの清国に内密で、“1885年以降,複数回にわたる調査”をした上で、法的不備をつき、あるいは戦争のスキやどさくさをついて、清国の目がそれているうちに,
清国が気付かぬようにそっと“我が国の領土に編入”した。
このへんはわたしの想像がかなり働いているから、誤りがあったら教えてほしい。
中国(と台湾)は1970年ごろ、ようするに島が日本に編入されて70年以上たって、ようやくそれに気づいた。今さら気づいても、もう遅いって。
わたし思うに、領有権に閑して複数回も調査するんだったら、どうして清国に対して、落し物、忘れ物と同じように、「ここ(尖閣諸島“釣魚島”)は、あなたのものじゃないですよね?」と一度も確認しなかったのだ。
ホウレンソウ、つまり報告・連絡・相談はどこの会社でも社会人の常識と教えているぞ。
清国に対するホウレンソウ。それをしなかったのは、何か後ろめたいものが、つまり “ここ、元々は清国(支那 CHINA)の領土じゃないか。でも清国は忘れてるみたいだから、清国が気づかないうちに日本に組み入れてしまおう” という後ろめたさがあったんでしょ? と思いたくなる。
<第2部 中国語の勉強に続く>
※読んでも面白くないよ。
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